在黙 只、黙って此処に在る日記。
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文学的言語映像 vol.02

10.02.23

「地下室の手記」 ドストエフスキー

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「ドストエフスキーの全作品を解く鍵」とまで呼ばれているこの作品は、著者のそれまでの作風を転換するきっかけとなる程、重要な位置を占めているらしい。

何年か前に一度読んだけど、当時は圧倒的な「自我」の吐き出しに不快感を覚えて、さらに難解な文章について行けず、最後までちゃんと読み切れなかった覚えがある。

気まぐれに「もう一度ちゃんと読んでみよう」と、挑戦心も持ちながら、ふと思って読み直してみた。

内容は、人や外の世界との関わりを絶ち、地下室という名の絶対的な「自意識の殻」に閉じ籠っている主人公が、一般社会における「人のあり方」を否定しながら、自分の身に起こった事件を通して、自分の「思想」や「哲学」を一方的に独白していくもの。

常に読者(他人)の目に映る自己を意識していて、その為自身の発言に対する「葛藤」や「苦悩」、「迷い」や「不信」が、顕著に表れており、発言自体がかなり紆余曲折している。

自分の「内」にある「醜悪」な部分を、自覚しながら葛藤した末に晒したりもしてるけど、読んでみて我慢できなかった事は、何よりこの主人公の性格が自分に似ているという事。

「強い自我」「過剰な自意識」、そしてそこから生まれる様々な思考。

「お前はこんな嫌な奴なんだぜ」って言われながら、心臓をナイフで抉られてる様な感覚だった。

タイトルを見ると、一見「自意識の殻」に閉じこもっている様に見えるけど、見方を変えると、完全に閉じ籠りきれていない様にも見えたりする。

デール・カーネギー著の「人を動かす」にもあるように、自分を認めてもらいたいという「自我の欲」が、人間に必ず備わっているものだとしたら、それを満たす為には、人と接するか、それに変わる「行為」をする必要がある。でなければ完全に放棄するしかない。

この小説の主人公は、読者(他人)が読んでいる(聞いている)ことを前提に、「書」を媒体として、自我の欲求を満たそうとしている様にも思えるし、書く行為自体が自我の欲求を満たしている様にも思える。

「自意識」は「他人」や「媒体となるもの」と接する事によって生まれ、変わって行くものだけど、「地下室」といえど、「行為」が発生した時点で、「完全な自意識の閉じ籠もり」では無い様な気がした。

まあ、閉じ籠っているか閉じ籠っていないかは、小説の主旨と全然違うんだけど、小説にきっかけを得て個人的に勝手に膨らませると、「人は絶対的孤独には耐えられないのではないか」という考えに至ってしまった。

この作品は1864年に書かれたもので、当時のロシアがどのような状態であったかは、想像がつかないけど、時代に関係なく「自意識」は誰もが持っているものだし、もし同じような性格で、同じような境遇にいたら、今の時代であっても、誰にでも当てはまる、リアリティのある作品だと思った。

気分や思考がマイナスの状態の時には、読まない方がいいです。
ただ、どちらかというとネガティブ思考な人におすすめします。

ZAIMOKU

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